色彩は「もう一つの心の言葉」です。 色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。

「ハートアート展」開催します


暑い日が続きました。アトリエの子どもたちも「もう夏休みになるのかと思った!」というほど。たしかにそんな気分にさせられる5月でした。

7月23日より、アーツ千代田3331において「ハートアート展」が開催されます。アトリエコスモスも協賛団体として参加します。いよいよ準備も本格的になってきました。

この展覧会では、2才~97才までのさまざまな人たちが心のままに自由に描いた作品と、全国各地で取り組まれてきたアートセラピーの実践が展示されます。
親子で参加できるたのしいイベントも多数企画しました。

イベント情報がおおくなり、チラシに十分な展覧会のお知らせがいれられなかったのですが、子どもたちや障がいのある人たちの作品、高齢者施設や被災地の仮設住宅で描かれた塗り絵など、九州から宮城までのひろい地域から多くの作品が集まります。

アトリエコスモスの子どもたちの作品ももちろん展示されます。普段のまま、そのままの作品たちは大きな会場でどんな光を放ってくれるかとても楽しみです。

ぜひ多くの方に足を運んでもらいたいと思っています。ご来場お待ちしています。(興味のある方はアトリエコスモスまでお気軽にお問合せください。)







  


  • 爆笑!「白い恋人」

    アトリエでは、作業しながらおしゃべりしたり、いつの間にかみんなで歌を口ずさんでいたりということが時々あるのですが、今週は「白い恋人」をめぐる会話で大爆笑でした。

    この日は2年、4年、6年の男子と2年生女子の4人のメンバー。


    6年生の男子くんが「白い恋人」というクッキーの空き箱に木切れをいれて、
    「白い恋人ですよー。ひとついかがですかー」とおみやげ屋の店員さんのようにして、みんなを相手に遊んでいました。

    黒い恋人もありますよー」というので、それは面白いと思って「それってどんな恋人ですかー?」と聞いてみました。

    すると「そりゃあ、やっぱり『黒い恋人』ですからねぇ、いろいろ考えていて自分でなんにもやらないで全部おごってもらうとかですよ」という答え。

    悲しいとか暗いとかいうイメージではなくて、そっちなんだ。でもいかにもありそう。
    聞いてたみんなも「黒い」「黒い」と大喜びで、そこからいろんな色の心理的意味を含んだ恋人が次々にでてきました。


    「『白い恋人』はまあ普通の恋人で、『真っ白い恋人』というのもありますよー」
    「それは、すぐにあせって頭が真っ白になったり、なんでもすぐに忘れて記憶が無くなる恋人のことですよー」
    なんとシリアスでリアルな答えでしょう。そんな恋人だったら大変じゃないですか。
    でもそれって、まさに私のことだし。




    2年生の女の子も
    『黄色い恋人』は光ってるからきれいな恋人ー!」
    「 『赤い恋人』は自分が恋人になるんじゃなくて、恋人になりたい人を応援する恋人だよー」とかわいい意見。

    そうか赤は、応援したり頑張れって元気づけるイメージなのね。なんだか心があったかくなります。

    『茶色い恋人』もなんか言ってたなあ。残念、聞き逃してしまいました。

    それにしても一番みんなに受けていたのが『ずるい恋人』。
    『ずるい恋人』は浮気したり何人もとつきあったりする恋人のことだそうで、なんどもなんども口にしてみんな笑い転げていました。ちょっと大人でちょっといけない言葉は、子どもたちは大好きで、一旦始まるととエンドレスになってしまいます。

    でもこの『ずるい恋人』は何色なのでしょう。考えてみるといろんな色がでてきそうです。

    子どもたちの色に対するイメージがとてもユーモラスで、笑いの中にも本当にうなづけるような真実があって、その色彩感覚に感心させられました。

    私たちは赤はこういう意味、白はこんな心理と勉強しながら経験をつんできたけど、色に対する子どもたちの瞬発力やいきいきした感性のほうがずっといいなと思った時間でした。私も久しぶりによく笑いました。  


  • ゴールデンウイーク終わりました

    ゴールデンウイーク、いろんな所へ出かけた人も多いことでしょう。

    私は、先月四月に肺炎で入院の後、無事退院した父と少々看病疲れの残る母を訪ねて富山の実家に帰りました。
    めずらしく次男も時間をつくってくれて私と一緒に一泊してきました。

    次男は現在東京でイラスト等の仕事をしていますが、富山県生まれの東京育ち。
    2歳になる前に東京に来て、富山の記憶がほとんどないものの、出身地を聞かれると「富山県」と答えねばなりません。
    次男にすればそのことに少なからず違和感を感じるのか、祖父母のいるこの地域に自分なりの「縁」を感じたいという思いがあるようで、わりと気軽に同行してくれます。

    私も富山を離れ、東京暮らしの方が長くなったけれど、東京で富山県の人に会うと、なんとなくその人のことを半分わかったような気分になるから不思議です。あの同じ風景、同じ食べ物を知ってると思うと自然に親しみが湧きます。郷里があるというのはそういうことなのですね。

    87歳の父は医者も驚くほどの驚異的な回復力でほぼほぼ元気にしていました。そのおかげか母も頭は以前会ったときよりずっとハッキリ。老いは感じるものの、これならしばらく二人でがんばってくれそうで一安心。脱水症状にならぬよう時間をきめてお茶を飲み、陽の傾く前に近所を散歩するという日課をきっちり守り努力していることに、尊敬の念さえおぼえました。
    散歩する両親、もう一人は次男






    そして今回はせっかくのゴールデンウイーク。
    ちょっと観光もかねて以前から行ってみたかった「富山市ガラス美術館」を訪ねました。


    新幹線の整備で駅周辺はすっかり知らない街になってしまうほどの変化のなかで、ここ総曲輪(そうがわ)周辺は、少しはレトロな感じも残るところです。とはいえ記憶のなかの書店も画材店も喫茶店もなかったなあ。あたりまえだけど長い時の流れを感じます。

    隈研吾氏の設計デザインの現代的な美術館はなかなかすてきでした。
    すこしづつ斜めに6階まで吹き抜けになっている広大なフロアは圧巻です。でも、その高い吹き抜けに足元がなんだかゾクゾク(高い所は苦手なので)。空間を切り取る斜めのラインに五感が刺激されて異空間に踏み入れた感じ。解放感ある広さのなかで、内装の木(羽板)のぬくもりと不思議な「不安定感」を行きつ戻りつする感覚につつまれてしまいました。(私だけ?)




    現代は、美術館の建築そのものや、周辺環境も含めて芸術を感じる視点がさまざまに試みられています。
    富山市ガラス美術館もガラスを中心に、その外観にたがわぬ、現代的実験的な展示も企画されていくでしょう。

    今回は「平山郁夫とシルクロードのガラス展」という企画展で、古代メソポタミア文明からという、紀元前いったい何千年という時代のガラスの器も多数見てきました。
    そんな時代からこんな器を作っていたなんて、想像力もおいつかない遥かなはるかな「いにしえ」です。人ってすごい!

    街に田舎にいろいろ感じ、両親ともいろいろ語り合うことのできたゴールデンウイークでした。  


  • Posted by turu at 14:32Comments(0)出かけました暮らし