好きな色で埋めつくす、という心理
ちょっと時間ができて、国分寺の小さなアートギャラリーに出かけ、佐藤尚子さんの作品展を見てきました。
国分寺駅から歩いて15分ほど。今回初めて訪ねた「丘の上APT:兒島画廊」は、トタン板の外壁に、木と漆喰の内装がすてきでとても落ち着く雰囲気で、その名のとおり小高い丘の上の住宅地にありました。
佐藤尚子さんも丘の上APTも知らなかったのですが、なぜか最近、色彩が無限に積み重ねられているような表現ばかりとても気になっていて、このチラシを友人からもらったとき、どうしても行きたいという思いにかられたのです。
もともとこういう隙間のない細かい表現は好きではなかったのに、なぜ今魅かれてしまうのだろう。なぜ不思議と目についてしまうのだろう。
そんな自分への疑問もあって、佐藤さんの作品を通して、自分の気持ちと対話したいという思いもありました。
鮮やかなピンク系が多く使われた色彩あふれる作品は、色と色が自然に手をとりあってつながっていくような楽しさがあります。
けれど、すごく細かくて、そこにはあふれ出るエネルギーと、無限に広がる宇宙空間のような強さも感じます。
この絵にも多用されているピンク系の色は私も好きな色です。
心理的には「愛情」や「女性性」「幸福感」などとと結びつけられるピンクですが、やや青みがはいったマゼンダやつつじ色のようなピンクには強い意志や複雑さが感じられ、より魅かれます。実は私のバッグの中の小物類はほぼこの強いピンク。自分を守ってくれるお守り代わりのような気分です。
そんなピンクと他の色彩が無限に積み重なる佐藤さんの作品を見ていると、私は今、自分で自分を埋めつくしたいという感覚がある、そのエネルギーを欲しているのではないかという思いが、作品と呼応するように私の中に生まれてきました。
外からの余分な情報を排し、自分の内なるエネルギーで動いていきたい。外の世界とつながりながら、でも、自分のリズムを最大限整えていきたい。仕事も生活もそういう時期なのかな、と思いました。(ちょっと疲れているのかも)
「木の芽時」という言葉があります。
春から初夏へのアップダウンの激しい不安定な気候と、若い芽がいっせいに吹き出す季節。
負と正のエネルギーが同時に存在する時期です。誰もが不安定になりやすいという自然のリズムに私も影響を受けているのかもしれません。
そんなことを感じつつちょっと自分との対話をはたし、丘を降りるときには爽やかな気持ちになっていました。
その時々に魅かれる絵や色調というのは、自分の人生の現在点を語っているといえます。
絵や色彩との対話は、自分の「今」を知る大事な時間だと思いました。
国分寺駅から歩いて15分ほど。今回初めて訪ねた「丘の上APT:兒島画廊」は、トタン板の外壁に、木と漆喰の内装がすてきでとても落ち着く雰囲気で、その名のとおり小高い丘の上の住宅地にありました。
佐藤尚子さんも丘の上APTも知らなかったのですが、なぜか最近、色彩が無限に積み重ねられているような表現ばかりとても気になっていて、このチラシを友人からもらったとき、どうしても行きたいという思いにかられたのです。
もともとこういう隙間のない細かい表現は好きではなかったのに、なぜ今魅かれてしまうのだろう。なぜ不思議と目についてしまうのだろう。
そんな自分への疑問もあって、佐藤さんの作品を通して、自分の気持ちと対話したいという思いもありました。
鮮やかなピンク系が多く使われた色彩あふれる作品は、色と色が自然に手をとりあってつながっていくような楽しさがあります。
けれど、すごく細かくて、そこにはあふれ出るエネルギーと、無限に広がる宇宙空間のような強さも感じます。
この絵にも多用されているピンク系の色は私も好きな色です。
心理的には「愛情」や「女性性」「幸福感」などとと結びつけられるピンクですが、やや青みがはいったマゼンダやつつじ色のようなピンクには強い意志や複雑さが感じられ、より魅かれます。実は私のバッグの中の小物類はほぼこの強いピンク。自分を守ってくれるお守り代わりのような気分です。
そんなピンクと他の色彩が無限に積み重なる佐藤さんの作品を見ていると、私は今、自分で自分を埋めつくしたいという感覚がある、そのエネルギーを欲しているのではないかという思いが、作品と呼応するように私の中に生まれてきました。
外からの余分な情報を排し、自分の内なるエネルギーで動いていきたい。外の世界とつながりながら、でも、自分のリズムを最大限整えていきたい。仕事も生活もそういう時期なのかな、と思いました。(ちょっと疲れているのかも)
「木の芽時」という言葉があります。
春から初夏へのアップダウンの激しい不安定な気候と、若い芽がいっせいに吹き出す季節。
負と正のエネルギーが同時に存在する時期です。誰もが不安定になりやすいという自然のリズムに私も影響を受けているのかもしれません。
そんなことを感じつつちょっと自分との対話をはたし、丘を降りるときには爽やかな気持ちになっていました。
その時々に魅かれる絵や色調というのは、自分の人生の現在点を語っているといえます。
絵や色彩との対話は、自分の「今」を知る大事な時間だと思いました。
この記事へのコメント
今まで興味の無かったもの、目に付かなかった事が突然気になる事が自分にもあります。
それは、今の自分が必要と思って欲しているという事なんですね~
今までは、不思議だなぁ~って流していましたが、
いったん立ち止まって自分を見つめる時間を持ってみるのも良さそうでね。
自分も、先生の様に自分と対話する時間をもってみたいと思いました。。。。
それは、今の自分が必要と思って欲しているという事なんですね~
今までは、不思議だなぁ~って流していましたが、
いったん立ち止まって自分を見つめる時間を持ってみるのも良さそうでね。
自分も、先生の様に自分と対話する時間をもってみたいと思いました。。。。
Posted by furu at 2017年05月03日 10:35
何かが気になってしまうとき、スルーしないで、なぜ?と立ち止まってみるのがいいそうです。
現代人は忙しくてなかなかそうできないのですが。。。。
スルーした方が実は楽なので、立ち止まるのはちょっと我慢もいります。
でも、あっ!と思わず何かに気づいた時、いろんなことがスルスルとほどけて、みんないっぺんに見えたりすることがあるんですよね。
じっと停止してたあとの解放感というか、納得や安堵、希望や諦めも含めて。
自分の方程式の解が見えるような気がします。
現代人は忙しくてなかなかそうできないのですが。。。。
スルーした方が実は楽なので、立ち止まるのはちょっと我慢もいります。
でも、あっ!と思わず何かに気づいた時、いろんなことがスルスルとほどけて、みんないっぺんに見えたりすることがあるんですよね。
じっと停止してたあとの解放感というか、納得や安堵、希望や諦めも含めて。
自分の方程式の解が見えるような気がします。
Posted by turu at 2017年05月03日 14:19