いよいよ今年も終わります。
最終週のアトリエを終えてほっとしたのもつかの間、
27日朝、
家の前にあるはずの自転車が無くなっているのを発見。
鍵も見当たらず、
盗難にあってしまったと確信してガッカリ。
完全に鍵の閉め忘れ。夜中に誰か飲んだ帰りにでもこれ幸いと乗っていってしまったのか。
すぐに近所の交番へ盗難届を出し、しばらく不便だなあと思っていたら、
何と翌日見つかってもどってきました。
3キロほど離れた
国立天文台近くのコンビニに乗り捨てられていたのを、店員さんが駐在所に届けてくれたのです。
野川の流れのすぐ脇の
「天文台下駐在所」へ。
「手続きより先に解決したので、
まだ盗難品状態。あまりどこにでも停めない方がいいですよ」という警察官の方に、何度もお礼を言って受けとってきました。
いろんなことが終わりほっとしつつあわただしい年末、気がゆるんだのかな。
気をつけなければいけないですね。
今年は自主企画のワークショップは開けませんでしたが、被災地に2度訪れるなどいろいろな経験をしました。
アトリエのこどもたちの作品も、元気な作品、個性的な作品が多かったように思います。
10年と言う節目にいろんなことを考えた一年でした。
最終週の
22日には、
アーチストでアートセラピストの夏海花澄さんが来てくださり、いろんなことを語り合い、子どもたちとも一緒にすごしてくれました。
この日は
冬至。一年で一番昼が短く夜が長い切り替えの時、
そしてあらたな時間の始まりの日です。
そのせいか、あるいは
夏海さんの独特のやさしいリズムを受けとめてか、ふだん工作ばかりで絵を描かない子たちが一斉に絵を描いたのにはびっくり。
しかも無意識の気持ちに触れるかのような川底の魚や、終点・起点を思わせる門がモチーフになっていたりして、とても不思議でした。
他の子もわざわざ丸い紙皿にキャラクターを描いたり、時計を工作したり。
丸や円は終わりのないサイクル、永遠の時の流れを感じさせる形です。
夏海さんも
「子どもたちはより自然を敏感に感じるから、冬至の今日、なにか共時性を感じているのかも」と言います。
子どもって本当におとなが忘れた感性をちゃんと持っているんだと感心しました。
そして
最終日の24日。学校が忙しくて5時すぎにやっと来てくれた6年生の女の子が仕上げていった今年最後の作品です。
アメリカの女性画家ジョージア・オキーフ(1887~1986)が1926年に描いた絵を模写しました。
当時のニューヨークを題材にしたといわれる「都会の夜」というタイトルが付けられています。
描いた子に「どうしてこの絵がよかったの?」とか「描いててどんな感じがしていた?」と聞いても、「別に」とか「なんとなく」という答えしか返ってきません。
だって絵だもんね。その時何か感じてそれを選んだだけ。
子どもたちは自分の絵や気持ちを上手に言葉で説明することはできません。
でも、目の前にしたイメージの世界は本当にその人のもので、それが次のイメージを喚起し、生きる推進力になっていくからおもしろいのです。
私がこの絵をみて感じることはもちろんあります。でもイメージの世界を今は大事にして、また少し時間がたったら彼女と話してみたいなと思います。
心はイメージに導かれて動いていきます。
その中で、きっと言葉も見つかるでしょうから、それを大事に楽しみにしたいと思います。
深い夜の街で締めくくられた今年のアトリエ。
来年もどうぞよろしくお願いします。